ハナミズキはアメリカ生まれ?

桜も終わり、ちらほらハナミズキが咲いています。

ハナミズキと言えば…

「薄紅色の~可愛い君のね~…♪」

一青窈の「ハナミズキ」が有名ですが、

植物としてはアメリカ出身なんです!

ハナミズキにまつわる話をご紹介します。

ハナミズキ

分類

ハナミズキ(花水木)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。別名アメリカヤマボウシ。
アメリカヤマボウシの名は、アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシににていることから。

分布

北アメリカ原産。おもにアメリカ合衆国東海岸からミシシッピ川あたりまで自生していて、
山岳部や西海岸にはない。

生態

樹皮は灰黒色。
葉は楕円形。
花期は4月下旬から5月上旬で、白色や薄いピンク色の花をつける。

どうやって日本に来たの?

米国の首都ワシントンDCといえば、大理石の建築物や整った街並みとともによく知られているのが桜並木。
毎年この時期に咲き誇る花々は、ワシントンの春の風物詩となっています。

 しかし、桜は元々ワシントンに存在していたわけではないのです。日本出身なのです。日本の桜が、なぜ米国で花を咲かせているのでしょうか。
そこには、満開の桜と同様に私たちの心を奪う、意外な物語がありました。
それは今から100年以上前、横浜でのある偶然の出会いから始まったのです。

デビッド・フェアチャイルド

 今でこそ、スーパーへ買い物に行けば色鮮やかな野菜や果物が目を楽しませてくれるますが、かつて米国で栽培されていた作物は味気ないものばかりで、米農務省のデビッド・フェアチャイルドは、米国の農業に利益をもたらしてくれそうな新しい植物を探して世界を飛び回っていました。そして、1902年に訪れた日本の地で、桜に出会ったのです。

 フェアチャイルドは手始めに、温暖な気候が日本と似ている太平洋沿岸のカリフォルニア州へ桜の苗木のサンプルを送りましたが、サンフランシスコに到着後、桜の知識を全く持たない植物研究者の手によって枯れてしまいました。

エライザ・シドモア

 当時、桜をよく理解していた人物が、ワシントンの女性ジャーナリスト、エライザ・シドモアでした。
兄が駐日米領事館の外交官だったため、日本をよく訪れていたシドモアは、ワシントンへ戻る度に日本で目にした美しい桜の話を周囲の人々に語っていました。

 外国の作物に抵抗感を示す米国人が多いことをよく分かっていたフェアチャイルドは、まず125本の桜の木を取り寄せて、メリーランド州チェビーチェイスにある自宅の前庭に植えることにしました。

ヘレン・タフト

 フェアチャイルドの庭に桜の木が植えられ、ふんわりと柔らかなピンクの花を実際に目にしたワシントンの人々も、その美しさにひかれました。そして1909年3月、誰よりもその魅力のとりこになったのが、大統領夫人になったばかりのヘレン・タフトでした。ワシントンDCの街の美化政策として桜を植えてはどうかと夫のタフト大統領に持ちかけたところ、日本との友好関係を結ぶよい機会になると感じた大統領もこれに賛成。

 ところが1909年の秋、東京市長から送られた2000本の若木は、ほとんどが瀕死の状態でワシントンに到着。
切られた根が短すぎ、病害虫にも侵されていました。外来害虫の侵入を恐れた農務省は、木をすべて焼却するしかありませんでした。その後1912年 、日本は再び、背の高い成木3020本を送り、無事に植樹が行われました。

 元々の3020本のうち今も生存しているのは、ワシントン記念塔の近くに残る2本のみ。 しかし、その後新たな植樹を繰り返し、今日ワシントンの桜並木には3800本の桜が植えられています。

尾崎行雄

 1912年、3000本のサクラがワシントンに送られた際、東京市長だったのが尾崎行雄でした。
その返礼として日本に送られたのが「ハナミズキ」でした。

当時のハナミズキは?

 1915年、タフトアメリカ大統領から送られた40本のハナミズキのうち、1本は、都立園芸高校に植えられています。現存する最後の1本だそうです。
 アメリカに送ったサクラの苗木を任された熊谷八十三が、都立園芸高校の初代校長だったことから、植樹されました。

ハナミズキ100周年

2015年 日本郵便とアメリカ郵政庁から記念切手が同時発売

まとめ

現在では至るところで見かけるハナミズキ。
いろんな歴史を経て、咲いていると思うと感慨深いものがありますね。
花は、「お日様ちょうだい」とでも訴えているかのように、花びらを大きく空に向けて開いています。
懐かしい故郷のアメリカを思いながら咲いているのかもしれません。

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